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年間110万人の観光客が訪れるのは、それと同じだけの人間が殺された場所【アウシュヴィッツ強制収容所】

by 古性 のち

「ユダヤ人もポーランド人も、ここで新しい生活がはじまると、信じていました」
摂氏ー2度の朝。凍える手をさすりながら、静かにポーランド人のツアーガイドが口を開いた。

フェンス越しに、壮大な第二強制収容所を見つめてみる。

「この場所、寒い・・」とポツリとつぶやいたひとりに
「1月はー20度まで下がります。その中をパジャマのような囚人服で、1日に10時間の肉体労働を強いられていました」とツアーガイドが返答する。

かつてこの場所で、想像も絶するような過酷な労働を強いられ、侵害され、たくさんの人が死んでいった。
何の罪もない、わたしたちと一緒で、穏やかで普通の生活をしていたひとたちが。

あまりにも広大な土地。そして、あまりにも何もなくて、あまりにもありすぎた場所。

わたしがポーランドに訪れることを決めたのは、どうしてもここに足を運んでおきたかったからだった。

年間110万人が訪れる、110万人の人間が殺された施設

アウシュビッツ強制収容所。正式名は、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所。

ドイツが第二次世界大戦中にかかげた人種差別的な絶滅政策 (ホロコースト) により、最大級の犠牲者を出した強制収容所である。日本では「アンネの日記」と聞いてピンと来る人もいるだろう。

かつてユダヤ人をはじめとした、政治犯・ジプシー・精神・身体障害者・同性愛者、捕虜・ポーランド人などの「何の罪もない人々」が集められ、過酷な労働や非人間的扱いを受けて、そして死んでいった場所。

その数は、110万人と言われることもあれば、それ以上ではないかと言われることもあるけれど、
実は正確な数字がわかっていない。

騙され、奪われ、焼かれ。灰になるまで粉々にされる

その要因がかの有名な「ガス室」の存在だった。
アウシュビッツに到着したユダヤ人たちをすぐさま「労働できるもの」「できないもの」に選別し、できないと判断されたもの(主に子供や老人、障害者など)には「シャワーを浴びましょう」と嘘をつき、チクロンBと呼ばれる毒ガスで抹殺する部屋。

そのガスは、20分で800人をも殺すらしい。
「たったの」ではない。「20分も」かかるのだ。

到着した途端殺されてしまう人の数があまりにも多すぎて、正確な数字がはかれないのだという。

ガス室では、多い時には毎日何千人、それ以上の罪のない人間が殺されていた。

髪の毛や、金歯、ピアスに指輪など、金目になりそうなものも形見も、いっさいがっさいにむしり取られ、
そして「骨すらも残らない状態」まで焼かれ、灰としてアウシュビッツの畑に撒かれた。


脱走しようとすれば、仲間も家族も、皆殺しにされる

「脱走をしようとした人は、いなかったんですか?」
「いました。実際に脱走が成功した人も100人ほどはいたんです。だけれど成功しても失敗しても、その仲間や家族は皆殺しにされます。見せしめのように吊るされ、死んでいきます

110万人いても、たったの100人。
しかも脱走すれば、友も、子供も、夫も、親も、愛するひとたちが殺されてしまう。

彼らは、今日も明日も変わらぬ過酷な状況で、ただただ「未来」を信じるしかなかった。
その精神状態を、わたしはどんなに頑張っても想像することができなかった。

これから殺されると分かってここに来る人が、ハンドクリームや鍋なんて、持ってくると思いますか?」

「生き残ったのは、たったの20万人だったと言われています」
たんたんと、ツアーガイドの説明が耳元を流れていく。

その後も衝撃的な展示が続く。

殺された人間の髪の毛で作られた絨毯や生地。
山のように積み上げられた靴やメガネ。
隙間だらけのバラックの、幅1メートルもない6人用のベッド。
1食分にすら満たない1日の食事。
ボロボロのパジャマのような囚人服。

病気で死んでいったひとたちの写真。
裸でガス室へ走っていく女性たちの写真。
小さな男の子たちが身を寄せ合い、殺されていく写真。
人体実験で無理やりにくっつけられた、双子の写真。

そして一番衝撃だったのは、大量のハンドクリームと、キッチン用品の展示だった。
可愛い色の鍋やミルクパンが悲しげに積み上げられている。
その中には、赤ちゃんのミルク瓶もたくさん紛れ込んでいた。

「これから殺されると分かってここに来る人が、ハンドクリームや鍋なんて、持ってくると思いますか?」その問いに、シン・・・と静まり返る。

この人たちは本当に心の底から、1ミリの疑いもなく「新しい生活がポーランドで始まること」を夢見てやってきて、そして全てを奪われて殺されたのだ。

唇をきゅっと硬く結ぶ人。
手を合わせる人。
夢中でシャッターを切る人。
じっと下を俯き、動かない人。

誰もが何かを探るように、自分の中の何かと戦うように、食い入るようにみつめていた。

涙なんてそんなもの、出なかった。
あまりの現実感のなさに、きっと頭がついていかなかったせいだろう。

たった5分の、”死を待つだけの人生最後の時間”

最後に訪れたのは、「死の部屋」と呼ばれる11番ブロック。
ここで 形上だけの ”裁判” が行われ、”死刑”と判決を受けた罪のない人々が「死の壁」で銃殺される。

その裁判は、毎度わずか5分で終わったそうだ。

11番ブロックの廊下に、足を踏み入れる。
中は薄暗く、ひんやりとしていた。

先へ進んでいくと、死の壁へと続いていた。

”わたしはこの5分後に、死んでしまう”
そんな気持ちを想像して、死の壁に向き合ってみる。

だけれど浮かんできたのはあまりにものん気な想像で
わたしの平和ボケしすぎた頭の中には「死」は遠いものとして認識されていることを、改めて実感した。

今こうして今日を平和に生きていることすら、奇跡だというのに、だ。

一体どれだけ多くの人間が、絶対に来る「死」について真剣に受け止め、覚悟し、毎日を生きているのだろうか。

そんなことを思いながら、わたしはそっとアウシュヴィッツを後にした。

わたしたちには、事実を知っておく義務がある

アウシュビッツにいる間、わたしの頭の中をいろんなものが走馬灯のように駆け巡っていった。

沖縄のひめゆりの塔のこと
広島の原爆ドームのこと
東北の地震のこと
各地で起きるテロのこと
反日感情のこと 親日感情のこと
今日食べたあたたかい食事のこと

なぜ戦争がおきたのかということ
なぜヒトラーはここまでしなくてはいけなかったのかということ

その頭を通り過ぎていく様々なとりとめのないことすべてを、わたしはあまりにも知らなすぎた。

戦後70年。去年、アウシュビッツが解放された記念日を祝う祭典に訪れた当時のアウシュビッツ経験者は、たったの3人だったという。
高齢化が進みもう多くの人が亡くなり、生き残っている人も、高齢のため動けないらしい。

この恐ろしい歴史を”体の底から実感した”人間が、いなくなるのだ。
わたしは原爆ドームの、終戦記念日を思い出した。

2度と人間が、おろかな歴史を繰り返さないために。

わたしたちは、今日の自分たちの平和がどうやって成り立っているのか。
過去にどんな犠牲があったのか。
世界が今、どんな状況にあるのか。

知らないことは、罪だ。
辛い過去のできごとを、きちんと受け止め、この目で見て、知る義務がある。

知らなければならない。


古性 のち
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