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なんだかひどく疲れてしまった心を、しっとりと、優しく包んでくれた【タイ・プーケット】

by 古性 のち

ピピ島に滞在するのは、3日間と最初から決めていた。
本当はもっともっと、何日もこの島に居たかったけれど、お尻を決めておかない限りきっとわたしの足はこの島で、止まってしまう。
だからこそ、あの景色の記憶が鮮明なうちに思い切ってこの島を離れることにした。

プーケットへ行く船が近づいてきたときに、ぎゅっと胸が痛くなった。
「Nozomiの旅が、きっと良いものになりますように」と、船着場まで見送りにきてくれた、同じゲストハウスで過ごしたタイ人のエイムが、自分の指輪をお守りにくれる。
肝心のココはというと、朝からお客さんが大盛況で、わたしの船の出発時間には間に合わないらしい。
「僕は海からNozomiの無事を祈ってるよ!」
とだけ言い残して、さっさとツアーに繰り出してしまったのだった。
でも、それでよかったと思う。多分今ココの顔を見てしまったら、きっと泣いてしまうし、船を降りてしまいそうだ。
* * *
船がゆっくりと、ピピ島を離れていく。
本当にこの3日間は、現実だったんだろうか? 
なんだか全てがウソだったような、よくわからない感情がこみ上げてくる。
見送るひとたちの中から、こちらに手をふるエイムを見つけ、ふと思い出してポケットをさぐる。
もらった指輪の感触が指に触れて、なぜかわたしの目から涙がこぼれおちた。

必死に手を振るみんなが、ピピ島が、遠ざかっていく。
わたしも必死で手を振りながら、
「またくるね」と、心の中で何度も繰り返した。

* * *

2時間ほどすると、賑やかな港が近づいてきた。プーケットだ。ここはピピ島を含めた、いろんな島へアクセスするためのプラットホームにもなっているからか、
船着場にはたくさんのバスとタクシーが、お客さんを捕まえようと、たくさんの観光客がそんな彼らから逃れようと、必死の戦いが行われていた。


わたしの滞在するゲストハウスへは、バスで15分ほどいったところにあるらしい。
何人かに聞いてみると(何人かは俺のタクシーに乗れ、しか言ってくれなかったけれど)、どうやら2番に来るバス停から、町の中心部まで乗っていけるとのことだった。

ありがとう、と言いながらバス停に向かうわたしの頭の中は、まだなんだかモヤにかかったままのようで。
バスに乗ってからも、ゲストハウスに着いてからも、眠りにつくときにも。心はずっと、あの優しい島に、戻りたくて仕方なかった。

* * *

翌日朝早く目が覚めたのに、自分でも驚くことに町を歩く気力がまるでない。
せっかく来たことのない土地にいるというのに、町歩きすらしたくないなんて。

なんでもできるはずなのに、なんにもしたくない。
そんな感覚、旅に出てから初めてだった。
問いかけても答えは見つからず、焦りはあるのに、とにかく何も心がうごかない。

一体、どうしてしまったんだろう。


とりあえず何か暖かいものを飲もう、と体を起こして、わたしは1Fのカフェスペースに向かった。
カウンターのタイ人のオーナーが、ぺこりと頭を下げてメニューを出しながら
「今日はどこへいくの?」
と聞いてきたけれど、
「No plan(予定なし)」とだけ答えて、長机に腰を下ろす。

「ビーチへ行ったら?今日はいい天気だよ」
と、オーダーしたカフェラテを丁寧に入れながら、カウンターからこちらに投げかけてくる。

「行きたくないの。どこにも行きたくない」
「なんで?」
「わかんない」
「疲れてるの?」
「わかんない」

そんな投げやりな会話を繰り返しながら、ほやん、と暖かい湯気が立つカフェラテが目の前に運ばれてきた。
「音楽好きなのあったら、かけるよ」
とだけ言い残してカウンターの定位置へと戻っていくと、大音量の広瀬香美がちいさな店内に流れ出したので、思わず笑ってしまった。

カフェラテに口をつけると、暖かい味にホッとする。

多分わたしは、無理やり好きな場所を離れたせいで、心を置いてきてしまったんだと思う。
体が、心が戻ってくるのを待つ時間を欲しがっていたのかもしれない。

* * *


結局そのまま、わたしはそのカフェを中心に4日間、ほとんどどこにも出かけなかった。
朝カフェラテを飲み、昼まで過ごす。
外の屋台で軽くお昼ごはんとるとまた帰ってきて、夜まで過ごす。
夜になったら夜ごはんを食べに出かけて、またカフェで過ごす。

そんな奇妙奇天烈な旅人を、オーナーはいつも優しく見守ってくれていた。
たまに大音量の、広瀬香美をかけながら。

ふと思い出して、エイムやココにメールすると、彼らはいつだって
「いつでも帰っておいで」と優しかった。

いつまでも、心が置いてきぼりでは何のために離れたのか、わからない。
充電が済んだら、すぐに次の町へ行こう。

「ビーチへは、行かないの?」
声のした方向に首をひねると、オーナーがいつものように、カウンター越しにわたしに尋ねていた。


「ビーチへは行かない。でも」
「わたし、多分明日はマレーシアにいく」
そうきっぱり伝えると、少しびっくりした顔をして、
「いつでも戻っておいで」
と、ニッコリ笑ってくれた。






古性 のち
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