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#57 逃した夕陽とセンチメンタル【ネパール・カトマンズ】

by 古性 のち

「旅をしたい」の感情はきっと、自分たちが暮らしているこの世界を、地球を、文化のことを。
もっともっと知りたくてたまらない好奇心からやってくる。
好きなあの子が何を考えているのか気になってたまらなくて、もう居ても立ってもいられなくなって、
「好きです」と、頭よりも先に、心と体が動いてしまうように。
わたしたち旅人はみんなきっと、自分たちのいまいる場所から、飛び出してしまう。

全身で、地球に恋をしてるのだろう。

非日常だと思っていた世界に、日常がゆっくり広がっていく過程が好きだ。
妄想や憧れだけがぎっしりと詰まっていた異国に、心地よい空気の流れるカフェを見つけたり、すれ違いざま、挨拶するような顔見知りの相手ができたりと、ちょっとずつ、足が地についてゆく、あの感じがたまらなく愛おしい。

薄暗い部屋のカーテンを開けて、ゆっくり起きて、決まったメニューの朝ごはんを取る。
洗濯物を干して、簡単なメモ帳とリュックサックを背負って、いつものカフェへと出かける。
そんなルーティーンを繰り返していると、だんだんと、だんだんと、
わたしと街がお互いに、お互いを異物と判断せずに、馴染んでいく感じがするのだ。

カトマンズでの滞在が3日を過ぎた頃、わたしたちは地元で「モンキーテンプル」と呼ばれている、猿がたくさん生息するらしい寺院に出かけてみることにした。
格別行きたかったわけではなかったのだけれど、観光らしい観光はほぼしておらず、ずっとカフェに篭りっぱなしの私たちに、道行くガイド達が「ポカラ?」だとか「モンキーテンプル?」だとか、陽気に話しかけてくるものだから、なんだか少し、この街を遠い所から見渡してみたくなったのだ。

調べてみると、モンキーテンプルへは、徒歩30分程で着くらしい。
念入りに日焼け止めを塗り、大きな水のペットボトルをリュックに仕舞い込む。
カフェの窓からちらり外を覗いてみると、道端に舞う砂埃が、今日も光を受けてキラキラと、空に散っていた。

あらかじめ調べていた地図を片手に、旗が舞う商店街を少し早足で進んでいく。
道の両側には同じような土産物屋が立ち並び、店員たちと目が合うたび
「コンニチハ」「ゲンキ?」と日本語で仕切りに話しかけてきた。
それだけ、この地に来る日本人が多いのだろう。
途中ゆったりと買い物を楽しむ、70代くらいの日本人夫婦とすれ違った。

カトマンズの日中は、日本の5月始めのような気温で、歩くと汗がじっとりと背中に滲んでいく。
サンダルの間からのぞく肌に容赦なく降り注ぐ太陽は、遠慮せず私の肌を焦がしていくのを感じた。
この状態で帰国するから「旅帰りっぽいね」と、ケラケラ笑われるわたしが徐々に出来上がっていくのだろう。そんな見た目の変化も、旅の大事な記憶だ。

スラム街に迷い込みながら、何とかモンキーテンプルに到着した頃には、すでに陽がゆっくり、傾きはじめていた。
長い長い階段の上を見上げると、煽られた旗達が、何重にも、風に遊ばれはためいている。
その動きはなんだか、なめらかに動く生き物のようで、ぼーっと心が吸い込まれそうになる。

「入場料、200ルピーかかりますけど、どうします?」
「入る。中見てみたい」
後ろからした彼の声に即答したのは、ここまできた苦労を無駄にしたくなかった、というよりは、この美しい建物をもう少し、見つめていたかったからだ。
赤・黄・白・青・緑の5色の旗についた飾りが、シャラシャラと風に鳴った。

言われた通りの200ルピーを払って中に足を踏み入れる。
高く高くそびえる真ん中のオブジェの周辺には、マニ車囲むように、ぐるりと並んでいた。
そのひとつに手をかけて、くるり回してみると、カラカラと乾いた音を立てて勢いよく回転する。

もうひとつ、もうひとつと、特に何かを意識することもなく、強いて言えば「目の前にマニ車があったから」というそれだけの理由で、指先に引っ掛けたマニ車を次々に回していった。
その動きを、ひたすらに眺めている。

突然、ふと自分の前に手が伸びてきて、目の前のマニ車が回る。
ちらりとその手の主に目をやると、美しい、カラフルな衣装を身に纏った黒髪の女性だった。
神妙な面持ちで次々に、だけれど丁寧に、マニ車を回す。
わたしには、これを回す意味も、回す理由もわからないけれど、こんな風に、願いを込めて回す人もいるのだろう。

寺院を半分ほど回る途中でふと目があった像には、さまざまな色がベタベタと塗られていた。
どんな思いでこの像に、これだけの色が与えられているのか、私にはわからなかった。

どんなに表面的にこの場所に居場所を見つけても、この人達と同じ気持ちに、街そのものと生きるように暮らすには、もっともっと時が必要なのだと、当たり前のことを考える。

その思いは心の中で、別の事例ともカチリと音をたててリンクして、何故だかわたしをとてもセンチメンタルな気持ちにさせた。

ふらり道を逸れてみると、多くのひとが足を止め、遠くを見つめていた。わたしも間から背伸びをすると、その視線の先に、ヒマラヤ山脈が広がっているのを捉えた。時計に目をやると、後30分程で日の入りだ。

「どうしますか?」と彼に聞かれたので夕陽を待ちたい旨を伝える。
良いですよ、とのらりくらり返事をしたと思うと、彼はまた、レンズ越しの世界へと帰っていった。

日の入りが近くなるにつれて、少しずつ肌寒くなっていく。何か温かい飲み物をと「ROOF TOP STUPA」と書かれた見晴らしの良いカフェで、時間を潰すことにした。

" ROOF TOP "の名前にふさわしく、カフェは不安定にぎしぎしと鳴る階段の上に広がっていて、簡素なテーブルとソファが、無造作に置かれている。腰を下ろすと、ちょうど入り口で惹かれたオブジェの真正面に視線が落ちた。
そのオブジェに描かれた顔と目があう。心の中で「おじゃましています」とちいさな声で話しかけて見たけれど、かえってくるのは、シャラシャラという、風で鳴る飾りの音だけだった。

ゆっくり、ゆっくり、寺院がピンクとオレンジに染まっていく。

「これもう、陽沈んでしまってない?」
カフェでのんびりしすぎた私たちは、実はまんまと夕陽が沈む瞬間を、逃してしまった。
走って戻ったスポットから見えたヒマラヤ山脈は、もうシルエットになってしまっていて、陽はほんの少し前に、隠れてしまったようだった。

「また見れますよ」
いつまでも名残惜しそうに空を見つめるわたしに、彼がシャッターを切りながら、声をかけてくれた。
目の前には、私たちが暮らす、カトマンズの街が「そろそろ帰っておいで」とでも言いたげに、広がっていた。


古性 のち
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