#61 1日が24時間のわたし。1日が1秒な彼【カンボジア・シェムリアップ】

「なんでそんなに元気なの?」
カラン、とグラスの中の氷が鳴った。
時計は深夜1時を指している。町が眠る気配はまだ微塵もなく、青や緑の光が手のひらの色を慌ただしく変え、遠くではリズミカルな音楽が聞こえていた。
わたしは、笑顔のはじけるカンボジア人が経営する(本当に、きっとこんな時にこの表現を使うのだろう。彼の笑顔は、それほどまでに眩しかった)簡素な小屋で作られた、路上のバーに座っていた。
突然質問された隣の彼が、一瞬顔を曇らせる。
「じゃあどうしてのぞみはいつも眠い眠いって、言ってるの?」
ふいに質問返しされ、うーんと悩み込む。
目の前の、生暖かくなったピナコラーダを見つめながら考える。
彼、ローズと出会ったのは、もう2年前になる。
当時も今も彼はとても人気があるシェムリアップの日本語ガイドで、その多彩な知識と流暢な日本語で、多くのファンを持つ人間だ。

彼は魔法使いだ。と、わたしは勝手に思っている。だって彼と回るシェムリアップの町は、たちまちときめきに満ちた、テーマパークのように見えるのだ。いつ撮ったのかわからない、彼のカメラの中には、何だかわたしではないわたしが写り込んでいて、「ねえこれ、本当にわたし?」と言いたくなるような素敵な魔法を、沢山かけてくれる。
そんな彼は、とにかくいつも元気だった。
毎日クラブで夜中まで飲み、早朝起きて、ジムへ行く。そのままガイドをすることもあれば、出張にでかけ、そして夜はまた存分にシェムリアップの町を楽しみに出かけていくのだ。
それなのにガイドの間も、眠そうな顔を見たことがない。いつもお腹の底から笑っていて、いつも大きな声で「のぞみー!」と、声をかけてくれる。

対照的に、わたしはどちらかというと、ハイブリット型。よく寝るし、わーっと外で騒ぐよりも、中にこもって、本を読んだり動画を見たりが好き。かわいいカフェで、ネットサーフィンしているのが好き。お昼寝が好き。そんな人間だ。
だからこそ私にとって、彼の底知れぬ元気パワーが不思議で仕方なかった。
「私はなんだろう。でも昔から寝るのが好きなんだよね。ローズは、体力があるからなの?」
わたしがもう一度尋ねる。
だって今日のこの瞬間だって、わたしは昼間の炎天下にやられてヘトヘトなのに、彼はケロッとした顔で5杯目のお酒を平らげて笑っているのだ。
ローズがすこし、うーんと悩んでから、お酒をカウンターに置き直し、両手の人差し指をトンっと床においた。

「のぞみはさ、1日は何時間だと思ってる?」
突拍子もない質問に、わたしは面を食らう。
簡単な質問には、何かトラップが仕掛けられている。そんな思いが頭をよぎりつつも、お酒の力で弱った思考回路を奮い立たせる手間も惜しく、
「24時間でしょう?」
と、素直に返した。
「それは、自分は絶対死なないと思っているひとの回答だから」
ローズはずばっと、言い放った。
「1日は決して24時間じゃないよ。今この瞬間、何かが起きて死ぬかもしれない。そんなの、分からないよね。だからこそこの1分1秒の命を、全力で楽しんで、一緒にいる人を楽しませて、生きているって思いたいんだ」
「それが、僕がいつも全力で元気な理由だよ」
あまりにも想像を超えた回答に、わたしはピナコラーダをこぼしそうになった。
「そんな事考えてるの?」
と尋ねると
「そんな事考えてるよ」
と帰ってくる。
その回答は、わたしの心に抜け落ちたピースを戻してくれたような、そんな気がした。

未来を見るあまり、平和な時間に染まるあまり、わたしの日々から「死」は、完全に抜け落ちていた。
自分は死なない。
明日の自分は、生きている。
そんな事を、当たり前に、何も疑うことなく、信じていた。
いつからだろう。こんな不確かな事を、信じ切っていたのは。
「だから」
彼がわたしに続ける。
「だから、僕にとって1日は1秒刻み。この瞬間、この瞬間を噛み締めながら生きてる。生きてることに感謝してる」
「そんな風に考えてたら、眠いとか、言ってられなくない?」
”明日やろうは、ばかやろうだ”
ローズの言葉に、昔、好きだった英語教師が教えてくれた名言が重なった。
明日やろうは、ばかやろうだ。
それは、明日がくる保証は、ひとつもないから。
今この瞬間を全力で生きなければ、意味がないから。
私はひとつ、こくんと頷いて、ピナコラーダをぐいっとひと飲みし、
帰ったらすぐに旅行記を書こう、と心に決めた。
古性 のち